陽謀日記

陽謀を明かします

ハライター原の国守衆兵庫チャンネル・名著紹介「実録満鉄調査部 上」

 

配信では重要な情報が洩れていました。

「実録満鉄調査部 上下」は昭和58年(1983年)第1刷発行、朝日新聞社発行の朝日文庫です。「満蒙生命線」を否定できない本を発行しているのは皮肉です。

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沈まないでっかい太陽 大陸ロマンを夢見て日本の俊才が集った

この本を取り上げた理由:わたしたちはあまりにも満州を知らない。満鉄、満鉄調査部を知らなければ、満州国のことや清国末期から中華民国建国後も続く中国内戦はわからない。

ロシアから引き継いだ貧相な南満州鉄道や、清王朝の故郷だがさびれた満洲(東北三省)を大発展させたのは国策会社満鉄。路線を拡張大発展させ、付属地に大都市を築き、撫順炭鉱も発展させた。特に満鉄調査部にはシンクタンクとして日本の英知を集結した。

当時、心臓が複数あると言われた中国(各地の軍閥による群雄割拠)という大混乱の中、欧米列強による中国分割レースがあり、日本も参加はしたが、分割ではなく、ともに発展しようという意識(五族協和 日本人、朝鮮人漢人満州人、蒙古人)だった。しかし、軍閥ソ連やイギリスのプロパガンダで排英から排日へ変わる。当時の日本にとっての満州の重要性(安保も交易も)は、今のロシアにとってのウクライナにも似ている。

 

ルーズベルト満州干渉

周知のように、ロシアはフランスからの借款により戦費を調達、日本は若き高橋是清財務官の大車輪の活躍でヤコブ・シフの「クーン・ローブ」とイギリス金融界からの借款で息をついでいる。現在でもウォール街にある「クーン・ローブ」本社の応接間には、高橋の写真と英文の自叙伝がおかれている。ロシアはフランスなしには戦えなかったと同様に、日本もアメリカ・イギリスなしには戦えなかった。だからこそ、日本はアメリカのために日露戦争を戦ってくれているとジョン・ヘイ国務長官が評価していた。(中略)日本が講和の調停をルーズベルト大統領に依頼したとき、ルーズベルトはこれを「喜んで」引き受けながら、条件をつけた。それは「満州において門戸開放を維持し、かつ満州を中国に還付するという立場に日本は立つべきである」という内容だった。「満州における日本の立場」が日米の溝を広げ、大戦の爆薬になった。

 

ルーズベルト利権?

小村寿太郎ポーツマス条約を結び、日本に帰りつつあるとき、鉄道王ハリマンが満鉄をそっくり買いたい。日本は連日ハリマンと娘の園遊会を開き歓迎、モルガン財閥の反対でとん挫、モルガンは満鉄に資金融資の申し出とアメリカから車両やレールを買ってくれと、ルーズベルトのおいのモンゴメリールーズベルトを通じて申し入れた。

 

維新後の成長戦略

仕事のできる男を次々とスカウトされた三井物産

明治維新、日本の経済政策は一貫して成長路線をとり続けてきた(維新後から今次大戦の敗戦時まで、成長率は年平均四.五パーセントに達している)。

→維新を掲げる政党がデフレ政策を是認するのはおかしい。

 

満州の実体

清は祖先の発祥地満州を大切にしていたが、すっかり漢人化し、満州人まで漢人化、かえって漢人の手先として使われ、小作人に。満州には全然産業はなかった。

ポーツマス条約に依って継承した満鉄線(南満州支線 長春満州国新京―旅順間)はわずかに七百マイル。機関車も客車も持っていかれ、赤さびたレールのみ。日本軍が狭軌きょうきし、のち満鉄が広軌こうきする。

総人口は1200万人で面積は日本の2.6倍「ゴマ粒をばらまいたような」、人口の9割が農民で糊口を凌ぐのが精いっぱい

ロシアから割譲を受けた撫順炭鉱は日産わずか二百トンという有り様だった。

 

ソ連の南進大警戒・満鉄の調査能力

満鉄本社に整備局1~3課まで。1課は対ソ作戦の動員計画にもとづく軍事輸送担当部門、2課はソビエトに対する諜報や謀略を扱うセクション、3課はソ連空軍が侵入した際、列車や貨物をどこに待避させるかを計画する。各課は関東軍参謀と緊密な連携。関東軍の調査依頼に打てば響く。彼らの調査は「資料」と「歩く」。一人が毎朝5、6の外国紙をあてがわれ、必要な個所を赤鉛筆で囲む。午後からは読書。日本国内には読めない本、持つだけで危険な本も自由に図書館で読め、なければたいていの本を買ってくれた。

 

一次大戦後の米国台頭

一九一四年(筆者注FRB発足)に第一次大戦が勃発するや、イギリスは海軍力の不足と資金力の枯渇により支那貿易から著しく後退し、かわってアメリカと日本が一位二位を争うデッド・ヒートを演ずるに至る。大正五年の貿易統計では、日米が伯仲し、香港を除いたイギリスは第三位に転落さえしているのである。

 

就職人気№1

資料読みを終えて計画を作り、調査に1年以上かけて奥地まで進む。昭和期の調査は馬賊対策が重要に。大豆やオイルシェルを運搬するときと同じく、馬賊を雇って護衛してもらうのが得策。「規則は破るためにある」といった経営の規模がけた外れに大きく、度量も大陸的。

昭和14、15年の大学生の間に「入るなら満鉄調査部か京大人文科学研究所(代表格は今西錦司)」という目標があったと語り伝えられる。「フィールドワークを通じて」「事実に聞く」

 

満州実情報告書368冊

昭和7年満州国発足にあたり関東軍参謀部は満鉄調査部に東三省(満州)の実情報告を求めた。この報告書は368冊に及んだ(ページではない)

歌手東海林太郎も満鉄在籍7年の満鉄マン。

 

シベリア資料も一級

満鉄のロシア調査は「精緻」。アメリカ人二世から聞いたエピソード。国務省の役人がシベリアの森林資源を調べることになり、大学や国会の図書館で片っ端から読んだが、専門的すぎたり局地的すぎたり満足がゆかない。満鉄の資料をあたると、一鉄道会社の発行によるもので報告者の名前もない(文部省の日本國史のよう)ので軽く見ていたが、満鉄資料を読み終えて声を上げてくやしがった。「これを最初に読んでおけば、ほかは読む必要なかったのに」と。その資料には、シベリアの森林の位置、木の種類、生長の速度、伐採方法、搬出のルート、森林に棲む動物の種類と行動まで書かれていた。

大正11年世界的にも貴重なロシア語の図書1万2千冊をハルピンで購入。この大きな買い物の前でも満鉄資料室には9千冊のロシア関連本があった。書籍の蒐集のあと翻訳、次々に刊行。

ロシア調査の中心はハルピン事務所翻訳で多い時はロシア人や中国人45人を嘱託として雇った昭和初期の嘱託ミハイロフはモスクワからの電報をことごとく解読。傍受の愚を避け、領事館内の電文係をがんじがらめに買収。

 

嘱託は右から左まで

嘱託史が書けるほど嘱託を採用。顔ぶれが多彩で右から左まで。血盟団井上日召甘粕正彦、河本大作こうもとだいさく、日共幹部伊藤律朝日新聞から近衛ブレーンの尾崎秀実おざきほつみ、ゾルゲ事件で死刑

 

豆知識

寺内正毅(まさたけ)陸軍大臣、寺内内閣。ビリケン人形に似ていたことと、非立憲をかけている。閣僚を官僚と軍人に求め、一切政党に基礎を置かなかったから。

 

孫文没後北伐成功までの権力闘争

清朝没落後の中国の政局を、孫文を主人公にして紹介すると、以上のようになる。しかし、これでは一筋の流れを語ったにすぎない。孫文没後、政局はさらに混沌とし、蒋介石の北伐が成功する昭和三年まで、各地の軍閥の間に権力闘争が展開される。その前後の軍閥を整理してみると、つぎのようになる」

心臓複数説

北洋軍閥袁世凱、下に三派で安徽あんき派、直隷派、国民軍派(馮玉淑)

山西派 広東派 広西派 奉天派(張作霖、張学良)

最終的には奉天派と直隷派の争い。馮玉淑が奉天派につき、奉天派が勝つ。

 

軍政次第に撤廃

欧州の干渉に敏感な伊藤博文は「満州は日本の属地ではない。清国領土の一部」として満州経営という言葉を忌み嫌う。よって軍政は次第に撤廃され、関東都督(この中に関東軍になる参謀部が置かれた)、「経営」の主体は満鉄。

 

米国は最初から満州に強い執着

中国分割レースに欧州列国から一世紀おくれて参加したアメリは、第一次大戦を機に、積極的な外交を展開しつつあった」

アメリカは中国、ことに満州に対しては、はじめから強い関心を持っていた。関心というよりも執着といった方がよいかもしれない。(中略)ジョージ・ケナンの『ハリマン伝』の『第十八章・極東』によれば、ハリマンが東京駐○公使グリスカムのまねきで来日したのは『極東の地にアメリカの勢力をひろげ商権を確立すること』および『アメリカの支配の下に、日本・満州・ロシア・ヨーロッパを結ぶ鉄道を建設する』」

 

孫文に持ちかけた満州買収計画はいい線まで

森恪(かくと書いてつとむ)は、袁世凱打倒の旗を掲げたが旗色の悪い孫文に大正2年満州買収計画を持ち掛ける。「二個師団の武器と2000万円」。孫文は黄興と熟慮して了承。森奔走の間に孫文の革命党が敗走し沙汰止みに。

 

幻の郭松齢首班の親日満州政権

郭松齢は「張作霖を隠居させ満州に独立政権をたてる見通しがついた。日本の権益もあるから諒解がいる」→陸相宇垣一成から「中立」と協力を取り付け、張作霖にクーデター。田中が宇垣を一括。郭の背景に馮がいてロシアの傀儡との説でクーデター軍粉砕。郭首班の満州政権ができていれば、中国人同士の革命で国際問題にはならず、満州国はもっと早くできていたのではないか。

 

真の南京事件はバン対象かもということで配信では伏せました

上巻の最後、大正15年蒋介石が北伐軍を挙げ張作霖の安国軍を破って南京突入。日米英仏の領事館に乱入し掠奪暴行凌辱のかぎりをつくす。これが南京事件で、すでに国共合作なっており、南京で暴れたのは革命軍。イギリスが報復の協力を要請するが、幣原外相はノー。軟弱外交のはじまり。

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