陽謀日記

陽謀を明かします

ハライター原の現場を見てみよう「防空壕はスパイ防止法とセットで」

野坂昭如さんの絵本「ぼくの防空ごう」を紹介して以来、防空壕に関心を持っています。防空壕が近くにあると知り、見学してきました。

床下の防空壕で戦死したお父さんと出会う物語

阪急電車の石橋阪大前駅を下車。阪大キャンパスとは反対の西口を出て、大阪府道10号線を高速道路の中国自動車道に向かって10分ほど歩くと、大阪府池田市豊島南にある十二神社があります。

 

現地レポートは

国守衆兵庫チャンネルでどうぞ

www.youtube.com

 

郷土史などを調べれば、みなさんのお住まいの地域にも防空壕跡が残っていると思います。

防空壕は空襲に対抗する庶民にも取れる手段ですが、そのありかが敵に知られれば、無力です。十二神社の防空壕のように上部を土と草で覆い偽装しているのは、上から見て目立つようでは空襲を受けてしまうからです。

空襲や防空壕に関して、教訓的な書物があります。他者を疑うことを知らない日本人だからこそ知っておきたいことです。

戦前戦時戦後と売国者の多さに唖然とします

ユダヤは日本に何をしたか」(渡部悌治著 2009年成甲書房発行)に<空襲を手引きした日本人>という章があります。

「外国人宣教師団に隷属した日本の若い牧師には、私の郷里酒田市が敵機の来襲を受けたとき、その手引をした形跡があった」と述べたうえで、「牧師が空襲の6日前に、牧師と同居の共産党員が空襲の4日前に姿を消した」「機銃掃射を受けた第一国民学校には4日前まで大部隊が駐屯していた(※3日前に移駐)」「共産党員の勤務先も空襲を受け、同僚の数人が即死、何名かが手足をもぎ取られている」と続けて、4日前の詳細な位置関係などが、敵機に正確に伝わっていたことがうかがえます。

勇気ある著書でしか読めない言語空間があります

「真のユダヤ史」(ユースタス・マリンズ著 2012年成甲書房発行)から引用します。

「ドイツ人ヘルマン・アイヒ博士は著書のなかで、『ドイツ人はヨーロッパの他のどの国民よりもずっと反ユダヤ色がなかった』と述べているが、それは事実だ。ナチス突撃隊は夜間、それも深夜にドイツ人の店を急襲しなければならなかった。それはドイツ人がユダヤ人を守るために突撃隊を襲うのを避けるためであった。だが、連合国軍の爆弾が女性と子供を殺しはじめると、そんな雰囲気は一変した。ヒトラーは戦争がつづくあいだ、すべてのユダヤ人を収容者に拘束するよう命じた」

そして、ここからが重要です。

「その理由は、多数のユダヤ人が、ドイツの都市・居住区域を空爆する爆撃機のための誘導信号灯を設置しているところを発見され、捕まったからである」

1941年11月30日ヒトラーがヒムラ―に、ユダヤ人を抹殺してはならないと命令したヒムラ―の手書きメモが掲載されています

イギリスの著名な歴史家デイヴィッド・アーヴィング著の「ヒトラーの戦争」(1983年早川書房発行)には、「墜落した爆撃機から最近発見された文書と地図から、彼(※注:ヒトラー)はイギリスの航空機乗員がいまや産業上の目標そのものは無視して、住宅地域だけを狙うよう指示されているのを知った」とあります。

 

ドイツの空襲も日本の空襲もそうですが、無差別爆撃によって市民も巻き添えを食ったのではないんです。女子供、老人…まさに弱い人間を狙い撃ちにして、爆撃していたんですね。「絨毯爆撃」「無差別爆撃」ということばでも足りない非道さです。そしてその非道さを支えていたのが正確な位置”情報”です。

防空壕という自衛意識が高まるのは、国防に欠かせませんが、スパイ防止法がなければ、防空壕も格好の標的とされるでしょう。大東亜戦争時と違うのは、反日教育を受け国防動員法によって国外で破壊活動できる人たちを安易に受け入れている点です。今ほど同法が必要な時はありません。

 

しかし、沖縄県民はさる9月11日、国会議員時代は統一世界政府を目指す世界連邦の日本国会委員として名を連ね、媚中派でも名高いデニー知事を再選させてしまいました。度を超えた平和ボケと言えるでしょう。

私はこの日は日本にとっての、<911>と考えています。

なんくるないさー」ではすみません。沖縄だけでなく日本にとって。