陽謀日記

陽謀を明かします

「今は病院で水ぶくれになっているので、重くて納棺に難儀するんです」~ハライター原の名著紹介「やはり死ぬのは、がんでよかった」

「やはり死ぬのは、がんでよかった」(中村仁一著 幻冬舎新書 2021年発刊)

市井の立派な日本人を知り、泣ける本でもあります

前回紹介しました対談本での「医療」より「介護」や「穏やかな死」に主眼を置いた話になります。

国守衆兵庫チャンネル - YouTube

老人ホーム診療所所長としてがん放置患者を100例診てきた中村先生。ご自身も希望通り昨年6月肺がんのため自宅で穏やかに亡くなりました。末期医療を受けることなく、直前まで自力でトイレに行き、食事を自分で摂っての見事な最期です。まさに人間らしい死を見せてくださったのですね。

 

<人間は本来、穏やかな死を迎えられるようになっています。それを邪魔しているのが「延命医療」と”延命介護”ではないかと思います。>

<痛みがなければ診察する必要もなく、気づいたときは”手遅れ”の状態なのです。「手遅れ」というと、とんでもなく不幸なことのように思えますが、何らかの症状が出てくるまで元気に暮らせていたことを考えれば”手遅れの幸せ”と申せましょう。

 

電車内で読んでいて泣きそうになり、途中でやめた中村先生のお父さんの話です。中村先生が高校2年のとき心筋梗塞で亡くなりました。養子として迎えられた先に実子が生まれ、いびられ、家出して医学の道を目指します。ところが、20歳のときものが二重に見える病気になり、訪れた眼科で目薬と劇薬を間違えられ、瞬時に両目を失明。途中失明によって医者になる夢が断たれ何度も自殺を考えた。

それでも鍼灸師の資格を取り、中村さんら家族を養い、亡くなる半年前から心筋梗塞の発作を起こし、亡くなる当日まで働き続けたそうです。愚痴を言わず同情を買うようなこともない。最期の日は今まで以上の激しい発作で苦悶しほんの数分であっけなく亡くなりました。絶望感にさいなまれていただろうが、運命として受け入れる覚悟ができていたのだろう、家族の前では動じなかった。父の死にっぷりが私の死生観に大きな影響を与えた。

 

父は「医者になれ」とは言わなかったが、父の死をきっかけに医者を志す中村先生です。執筆当時末期肺がんによって呼吸困難はありますが、「俺の死にっぷりを見ているのに、その様は何だ」と批判されないような死に方をしたいと思っています。

と書かれています。

※この父にしてこの子ありです。正直、涙腺崩壊しました。

前回の対談本で紹介できなかったエピソードをもうひとつ紹介します。中村先生が主宰してきた「自分の死を考える集い」の参加者から聞いた。ある一人暮らしのおばあちゃんが風呂につかったまま死んだ。検視になったが、身に着けていた下着がどこにもない。その日着てた下着はすでに洗濯機の中だった。家の中はきちんと整理整頓されている。いつ亡くなっても恥ずかしくないようにということです。

※日本という国は、政官財にはろくな人間がいませんが、市井の中にこそ立派な人がいるものだと本当に実感します。

中村先生は、枯れるように死ぬことが自然だと主張されています。老人ホームで体中の水分を使い果たして死んでいくことを何度も見てきたからです。カエル腹になって溜まった腹水すらぺしゃんこになるというのです。

そこで、こんな話が紹介されます。

 

<かつて、年配の葬儀社の方がこんなことをいっていました。「昔は遺体が枯れていたので、軽くて納棺が楽だった。でも、今は病院で死の当日まで点滴注射などをして水ぶくれになっているので、重くて納棺に難儀するんです>

 

<年寄りはどこか具合が悪いのが正常なのです。したがって、「老い」を「病」にすり替えないことが大切になります。

※なぜ医療側は老いを病にすり替える好き勝手ができるのでしょう。その答えがこれです。

<日本人は医療を過大評価し、無駄な抵抗をしているように思えます。…生来、穏やかに死ねるしくみが備わっているはずです。それを「医療」を使って邪魔してはいけないのです。自然の摂理に任せることです。>

※胃ろうといのがあります。口から食べられなくなったので、胃にチューブをつなぎ栄養を送るわけです。本の中には胃ろうをつけて誤解を恐れずに言えば、生ける屍のようになった人のどこから手足が出ているのかわからないような写真もありました。

 

<身体がいらないといっている状況下で、無理に栄養や水分を押し込むわけですから、かなりの苦痛と負担を強いることになります>

※できることをすべてしたところで、回復の見込みはない、生活の質も改善しません。そして苦痛まで受ける。あなたのお父さんやお母さんは本当にそんなことを望んでいるのでしょうか?

 

<持病のある人が、一滴の水分も口から入らなくなれば、薬も飲めない。しかし、不思議なことに薬が飲めなくても発作は起きない。発作を起こすほどのエネルギーがすでに失せているのかもしれません。>

前回も付箋がいくつあっても足りませんと言いましたが、この本もそうです。50歳代後半の私でもそう思いましたので、先輩、大先輩の方々には大いに参考になるでしょう。

中村先生が講演で使っていた枕のひとつを紹介します。

 

<私は長野県の田舎で育ちました。昭和20年代の後半には、腹の中を回虫やサナダムシなどに間借りされている人がたくさんいました。こういう人が死にかけるといち早く虫たちが察知して口や肛門から飛び出してきました。それを見た一族の長老が「とうとう虫にも見離された」と、家族に「もう長くない。覚悟せい」と引導を渡した。これを”専門用語”で「虫の知らせ」と言いました。

 

※濃厚な医療、介護に縛られた現実の中で、穏やかな自然死を取り戻すことは容易ではありません。

中村さんは<年間死亡者がさらに増えると今のように多くが病院で死ぬことはなくなる。在宅死になる。しかし、その在宅死にも在宅医療死と在宅自然死がある。病院で目一杯の治療を受けて、改善が見込めないが、病院で行われていた延命措置は引き継ぐ。死ぬまで医療が濃厚に関与する。一方在宅自然死は医療とのかかわりをできるだけ持たない。医者の役割は、見守ること、これから起きる変化を伝えること、死亡の確認と死亡診断書の発行。カンタンなことのように思えますが、現状では、在宅自然死の方が在宅医療死より難しい。「介護してくれる家族に負担がかかる」「症状が急変したときの対応に不安がある」が大きな理由。在宅で看取らせるためには、信念と覚悟が必要なのです。

www.youtube.com

人は「死」を避けられません。しかし、現代人は自分の死も身内の死も過度に恐れています。医療や介護にただ身を任せることが逆に苦痛につながっています。利き手が使えないなら違う手で半日かけて食べたっていい。時間はたっぷりあるから、何でも自分でやる。しかし、いよいよ食べられない、飲めないのは死期が近づいているから。昔はそこに濃厚な医療や介護が介入せず、栄養や水分や何もかも使い果たして枯れたのでしょう。

数少ない本物の医者の死が残念でなりませんが、中村先生の立派な死にっぷりを、身内でも何でもありませんが、伝えていこうと思います。合掌。